最初のブラジルとの出会いは小学生の時だ。祖父が持っていた開高健の「OPA!」を夢中で読んだというか見た。
とにかく魚が好きだった。そしてそのスケールのでかさに子供ながらに憧れたのかもしれない。
2009年、プロサッカーチームの理学療法士をしていたころ、当時在籍していた選手がサントスFC出身の選手で、怪我の手術をしにブラジルに帰るということだったので、執刀ドクターの話を聞きに行くという名目でクラブから許可をもらって(自費で)ブラジルに渡航した。
名門サントスはその歴史を感じさせるたたずまいで、練習の緊迫した空気、メディカルスタッフの態度、スタジアム周囲の雰囲気、どれをとっても鳥肌が立つほどかっこよかった。
サンパウロ郊外のピラチカーバに本田時代にともにプレーしたドウグラスにも時間を見つけて会いに行った。
ブラジルに帰国してから10年以上経つのに流暢で、てにをは、ですますが完璧な日本語で僕を迎えてくれた。フラメンゴ出身のスピードスターで本当にいい選手だったなあ。
2019年の南米旅行の時はブラジルには行かず、チリ、ボリビア、アルゼンチンを廻った。
そして今回2024年。
きっかけは「小川さん行こうか」の、僕のカポエイラの先生Colvoさんの一声だった。
ColvoさんはAbada capoeiraのアジア統括責任者で日系3世のブラジル人で本当にあたたかくて、熱い男だ。僕がU.Natural を勉強していてカポエイラの要素があるのか知りたいとリクエストしたら、
「小川さん、これは格闘技だ。中途半端な気持ちでは、だめだ。」と言われた。でも熱心に指導してくれて、「いい動きが沢山あるね」と言ってくれた。僕はリハビリに使いたくて、勉強していると伝えると、Capoeiraもリハビリに使っている人がブラジルにはいるよ、と教えてくれた。そして「カポエイラも戦って勝った負けたの時代ではない。これからはSocial Toolとしてのカポエイラが必要になる。僕もたくさん問題ある人をカポエイラ教えてみてるよ。リズムが良くなると色々治るんだ」。僕は本当にそうだろうと思った。
そして「小川さん行こうか、ブラジル」といってくれた。僕は飛びついた。
U.Natural Methodを学びはじめ、動きのリズムの源泉をどうしても学びたかったこと、それがカポエイラを始めたきっかけだ。また、昔からブラジルではうまいサッカー選手のことを「あいつはGingaがある」*Gingaとはカポエイラのステップのこと、といい、決してうまくない選手だった僕は、そのGingaにあこがれ、いつもブラジル人選手とボール回しをして鍛えてもらっていた。
ブラジルは僕のあこがれだ。そして人生50年生きて自分の今までの軌跡がつながってきた気がした。
サッカー―ブラジルーリハビリ―カポエイラ、U.Natural
「ブラジルのリズムをリハビリに使いたい。リズムには身体を治す力があるのではないか?」
次回に続く